明けましておめでとうございます 本年のどうぞよろしくお願いします
- 2022.01.01 Saturday
- 雑感 Short Essey
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昨日の低温と霜で茶色に変わってしまったコブシの花。アップで撮るのが気の毒な気がして遠景で・・・単焦点の標準レンズで外の出ただけですが。もう1週間待てばいいのに・・・なんて言っても植物の生理は自由にならず、寒さを避けていどうすることもできません。残った蕾に後を託すしかない。
昨日未明の天気図。さすがに冬型の気圧配置とは言えませんが、中国東北部から移動して来た強い高気圧が低温を運んで来たようです。氷点下7度近くまで下がり、霜がびっしり。開花したばかりのコブシが霜にやられることは、毎年ではないにしてもかなり多い。ということは、繰り返される早すぎる開花にも何か生存戦略があるのかもしれません。
寒いうちから少しずつ蕾を膨らませて、じっくり頃合いを見るように白く開花するアセビ。戦後開拓時に作られた神社の鳥居の横で、手入れされることもなく1本だけ。周囲には鮮やかにスイセンが群れて咲き、アセビを見上げる人も少ない。毒があるので、開拓期に飼われていた牛たち、いま辺りを走り回っているクマ、カモシカ、イノシシたちは見向きもしないでしょう。
来月の展示会にむけて花入制作の準備。銅の管を切り、上端は斜めに。壁や柱にかけることもある花入で、生けた花が少し前にせり出す方が立体感が出るので、口を斜めにしています。これから一部に融かした銀ロウを被せて、2種類の金槌で鎚目を施し、底をつけ・・・」いくつかの工程を経て仕上げます。左に見える鍋の本体は、仕上げ鎚地の途中。こちらは蓋を作り、たぶん花入より先に仕上げることになるでしょう。
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冬のアヤメ。昨年全焼した作業場の脇にあった一群のアヤメに一つだけ残ったアヤメの実。通常、一つの茎に二つずつずらして開花し、実も二つずつ上下に並んでいることが多いのですが、これは火事に耐えた唯一の実。
この辺りでは、道端や田んぼの畦から標高2000mの高原まで、広範に自生しています。野草の花としては大きく、色の鮮やかさと姿の秀逸さでは抜群の存在感。本来野生の草なので手入れすることもなく庭の片隅の植えられていますが、大きな群落があるところには、あやめが原とかとかアヤメ平などの地名も。
アヤメの豪華さの比べると、こちらはささやかな、純粋雑草のハコベ。アヤメのように背丈のある草はのんびり遅れて芽吹きます。まだ春半分冬半分の軽井沢では、木々の葉が茂る前に、陽射しを浴びて花開き実をつけようと小さな野草たち、オオイヌノフグリ、ヒメオドリコソウ、ホトケノザ、イヌナズナ・・・いずれも個性的な名前がついています。その中ではおとなしげな名前のハコベですが、蔓状に伸びる茎で広がる勢いは決しておとなしくはありません。昔、鶏を飼っていた頃は餌にしましたが、今は七草粥の時に登場するぐらいです。もっとも、正月明けに野外で採れることはなく、高冷地軽井沢では旧正月の頃でもまだ無理でしょう。
一昨日、上野駅往復のついでに立ち寄った道具屋で新しく買った道具3点。左から、小さなコンパスですが、こちらのホームセンターでは大きいものしかありません。用途は言うまでもなく円を描くためですが、紙にではなく銅板に描くために先端が両方鉄で、力を入れても広がらないようネジで半径を調節します。真ん中のハンマーはちょっと特殊な頭と変な形の持ち手が特徴。仕上がった鍋に自分の名を入れる時、毛彫タガネを打つのに使うつもりです。右端はすりこぎのような木の棒に見えますが、先端ほど細くなっています。これは酒器の口や底の円を整えるのに使えるかなと、初めて購入しました。
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昨日は野暮用で上野駅往復。新幹線で片道1時間、通勤並というか、実際通勤している勤め人も多い。特に高崎から東京へという人が多く、2月の展示会で通った時より乗車率は高く、半分以上の座席が埋まっていました。
上野駅でそのままとんぼ返りというのは、あまりにも能がないというか、コストパフォーマンスが悪というか。御徒町にある金工の道具店を覗いてきました。年に数回はネットで注文している店ですが、実店舗に行くのは5年ぶりぐらいだろうか。道筋にあるアメ横を通るのは10年ぶりかもしれない。上野の桜が本格的に咲き始めると、もっと人通りが多くなるのでしょうが、いかにも寂しい。花見も今年は歩くだけで、座って宴とはいかないようです。大晦日の、肩を擦り合いながら買い物なんて賑わいは夢のまた夢。
春本番の東京でしたが、高冷地軽井沢の桜といえば、今はまだ硬い鎧をまとったようなオオヤマザクラの花芽。開花するまでには一月あまり。このところ朝方は氷点下4度で、ずいぶん暖かくなったと思うのですが、桜の蕾はそんなことでは騙されないぞと、衣の合わせをしっかりとじています。ソメイヨシノに比べるとオオヤマザクラは横に並んでいてもそれぞれの木によって開花がずれます。さらに、花より先に艶のある若葉が開き始めたり、花の色も濃いピンクから淡い色まで、兎にも角にも不揃いなことを信条にしているようです。ソメイヨシノのように一斉に同じ顔で同じ方を向いて、そして一斉に散るなんてヤナコッタとそれぞれマイペースです。
昼過ぎには戻って、仕事再開。壁に下がる細々とした道具。くすんだ黒いものは昨年の火事で焼けた後、まだ使えそうなもの。色鮮やかものはその後に買い足したものです。作りかけの両手鍋2点。左は仕上げ鎚ちの途中で、「両手鍋 銅蓋基本形」に。ふっくらとした銅蓋の定番です。右はまだ「両手鍋 波縁 木蓋付き」にするか、「両手鍋 長円縁丸 木蓋付き」にするか決めていません。どちらも在庫がなく、この先は成り行き任せ風まかせ・・・春の風は気まぐれです。
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仕事場の敷地の片隅に毎年黄色い花を咲かせるクサノオウの新芽。地中に根が広がっているのでしょう、いっせいに芽吹いています。まだ、朝方は氷点下4〜5度まで下がるため、寒さにやられて新芽といえども新緑一色とはいきません。それでも、木々が葉を広げる前に、少しでの早く陽射しを浴びて成長したい気持ちが伝わってきます。早春の気配が行きつ戻りつの時期、複雑な色合いの方が今の気分に合うようです。厳しい寒さの冬が衰えて行く一抹の寂しさと、まだひと月は先の春の訪れを願う気持ちが交錯します。地際で成長の準備を始めた草たちに色に、そんなためらいや揺れ動きを感じる微妙な季節。
野生の動物たちはどうしているのでしょう。去年は、自粛暮らしで人が余り野外に出なかったせいか、キツネやキジがのびのびと歩き回る姿を例年より多く見かけました。そろそろ繁殖期を迎え、今度は彼らが巣篭もりの番。まもなく雄のキジがケーンと鋭く鳴き始めて、鮮やかに彩られた姿を誇示し始めるでしょう。キジバトはなんとなく鮮やかな色になり、冬枯れの梢で野太い低音を響かせています。桜が咲くのはずっと先ですが、春はすでに忙しく活動開始です。
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元旦に限って夜明け前に起きるわけではなく、いつも3時半から4時半の間に起床。本を読んだり事務仕事を片付けるのが朝飯前の習慣ですが、この日はまず風呂を炊いて温まってから、髪を切る。鏡に向かって首をひねりながらいい加減なハサミで切るのですが、虎刈りになるほど髪が残っていない。それから外の様子を見て、薄明るくなった町を、初日の出の撮影ポイントに向かう。
どこにいても陽は昇りますが、一番上は群馬県境の入山峠。東は関東ですが、広大な関東平野から昇るわけではなく、手前の妙義連山から顔を出します。ほぼ、同じ標高ですので、太陽の上の空はまだ暗い。上空の水蒸気や塵などで反射してくる光は青く、分厚い大気の層を通って届く陽光は黄色、周囲は赤い。
2段目は20分ほど経って峠から200mほど下がった地点。少し見上げる角度の山から昇る太陽は白っぽく、カラスが飛んでいるのはご愛嬌ですが、色の変化は楽しめません。木のシルエットがおもしろい場所です。軽井沢は東西が低く、風が峠を越える時に雲が発生しやすく、地平線から昇った太陽は、程なく雲やもやの中に入ってしまうことが多い。
最下段はさらに20分ほど後で山の上に出てくるところですが、太陽の位置が高くなるため、大気中の水蒸気にあたった陽光で周囲の空全体がすでに明るく、この時は太陽の形を確認することもできませんでした。
結果的には最初に向かった場所が正解で、年賀状に使える写真が撮れましたが、場所の選定に失敗したり、天気が悪かったりすると、さてどうしようかと半日うろうろ、まさか前の年の写真を使うわけにもいかず、頭抱えることになります。
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それぞれに複雑な思いを残して2020年は暮れ、その光が何を照らし出すのでしょうか、2021年の最初の太陽が昇っていきます。今年もどうよろしくお願いします。
寺山光廣
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この冬2度目の積雪、夜が開けると外は白く、まだ少しですが降っています。タイヤ交換をサボっていたので、道路の雪が融けるまで外出を控えることになりそうですが、気温は氷点下になっていないので、道の雪はじきに雪も消えるでしょう。紅葉したままで落葉をサボっているカエデの一枝。他の枝も他の木も全て葉を落とした冬枯れ姿の中で、枝一つだけ時間が止まったかのように紅葉した葉を残しています。葉の水分はすでに失われ、ミイラ化して残っているというとちょっとかわいそうなので、押し花かドライフラワーの状態で冬を迎えたということに。どうして枝一本だけにそんな事が起きたのか。タイヤ交換をサボっていた私と違い、それなりの生理学的な理由があるのでしょうが、そのメカニズムは解りません。とりあえず「カエデの勝手でしょ」ということにしておきます。
半年前に隣家からの延焼で焼けてしまった作業小屋に代えて、母屋の一室を改造して作業スペースにしています。外の気温とほとんど変わらなかった前の作業小屋に比べると、狭いながらも冬場は快適です。使いもしないガラクタが一掃されて、むしろコンパクトで機能的になった面もあります。周囲が事務部屋や台所なので掃除には気を使いますが、柄になく清潔な環境を維持。ハンマーを振るために指のあかぎれは始まっていますが、足の裏のひび割れはまだおきず、少し文明人になった気分。日程を間違えて紹介していたようですが、来年2月中旬には一年ぶりの展示会を予定しています。その準備になかなか取りかかれず、オーダーと旧軽井沢で売れたものの補充に今も追われている状態。外の作業小屋では、日の短いこの季節は朝夕の作業時間が短くなりがちでしたが、窓もない新しい作業スペースでは腹時計だけに支配されて、だらだらと長時間労働にはまっています。
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今回の台風、水による被害が目立ちます。前の台風のように、強風で屋根が飛ばされるケースはあまり目立たないようです。報道されていないだけなのか、前回の台風で弱い屋根はすでに壊れてしまっていたのでしょうか。私の作業場は台風がまだ南にあった時点での風で(中心が東に移ると100km以上離れた西側は意外に風が弱かった)プラスティック波板の屋根が壊れて飛んでしまいました。もともとかなり劣化していて、大雨の時はたびたび雨漏り。内側に薄い半透明のプラスティック板を平行して貼っていたので、雨水は両側の壁に流れ落ちています。しかし、強風が続けばその天井板も簡単に飛ばされて、内部は土砂降りになることが予想されたので、雨の中でも動かせる道具類は母屋に運び、運べないものは比較的屋根が丈夫な右半分に移動。材料の銅板類は濡れても平気ですし、風で飛んで行ってしまうこともないので、そのまま。気休めですが間にブルーシートを下げて、あとはなるようにしかならんと覚悟。写真は一夜明けた台風一過の作業場。とりあえず被害は最小におさまり、屋根は応急処置。近々きちんと波板をはりなおさなければなりませんが、上に乗ればバリバリ壊れる劣化した状態なので、修復方法を少し検討する必要があります。火事場の馬鹿力で運び出した道具類はほとんどが鉄の塊。戻す時には力が入らずなんとも重い。4時ごろやっと仕事再開でした。
作業場の全景をご紹介するのは初めてですが、最悪の状態をお見せすることになってしまいました。夢と幻の芸を売る仕事、本来は舞台裏をお見せするものではないと考えています。かっこよく言えば、作品だけで勝負。伝統的技術であろうが最新のハイテクであろうが、多くの人々の願望に寄り添うとか作家の思いがこもっているとか、背景は売り物じゃなく、その作品を買って使いたいと思うたった一人のお客様と作品をはさんでの対話です。ならば、仕事場など見せなければいいのですが、今回は対話を続けてきた何人かの方からご心配いただき、多少具体性のあるお答えとなるよう恥を晒して・・・です。
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やっと、浅間山の雪が見られましたが、南斜面のためほとんど融けてしまっています。過去に降り積もった火山噴出物がいくらか浸食された西側では、へこみに筋状の雪が残っていますが東側は不気味な火口?崩壊跡? 全体が真っ白に包まれると、怖さが減りますが、この光景はどうも落ち着かない。頂上火口から8kmの距離にいることは、決して安全ではありません。1,000年に一度ぐらいは火砕流に飲み込まれますが、突然8kmも流れ下るほどの噴火が予告無しに起きることは稀なようです。前回は900年ほど前で、仕事場のあたりでは7〜8mの深さまで火砕流が被っています。
左側の稜線は黒斑山。2万年以上前、この稜線の延長上に、今の浅間山より高い黒斑山がそびえていて、それが崩壊して麓を数10mの厚い土石流で埋め尽くしたそうです。こちらは予測不能、避難困難で、万が一遭遇してしまったら観念するしかなさそうです。
自然災害に遭遇する際の、死に際の美学など興味ありませんし、平時の覚悟なんて、その時の状況やわずかな心の揺らぎでころっと変わってしまいそうです。左の写真、なんだか判りませんよね。陽だまりに1本だけ立ち上がったシロツメクサの花。多数の花が丸くぼんぼり状に咲くシロツメクサも、たびたびの霜の中でわずか数個の花のかたまりですが、なんとか咲いています。周辺にある葉の群れは冬の間も緑で元気なのですが、花はこれが最後でしょう。昼間、暖かくなると、まだハナアブの仲間は飛び回っています。
展示会が終わって3日が過ぎましたが、戻って来た残品の汚れを拭き取ったり、お客様の名簿整理、ご希望で片手鍋の持ち手に吊り金具を取り付けたりと、雑用に追われて、まだ新作にはたどり着きません。
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昨日は未明の雨が、浅間山では雪でした。低気圧が去った夜明け頃から逆に冷え込んで、昼には冬の空にスジ雲。夏空の豪快な雲と夕立や雷、秋空のふわふわしたはぐれ雲と赤とんぼ、夜空の群雲と月。季節感のある組み合わせですが、色濃い冬空にはスジ雲が似合いそうです。日本海側ではどんよりと雪雲がたれ込めるのでしょうが、内陸の軽井沢ではひたすら寒さをもたらしそうなスジ雲。今朝は氷点下4度の冷え込みでした。手前はカエデの実。なぜか、今年は種が枝に多く残っています。
名前からして冬空に下にふさわしい忍冬(スイカズラ)が紅葉して輝いています。葉の色を濃く変化させて、太陽の光と熱を吸収するのでしょう。暗く寒い間は、葉を丸めてぶら下げることで寒気や霜に耐え、陽が当たると葉を広げるようです。しぶとい生き残り戦術。派手な紅葉の後で散ってしまうカエデやカラマツとはひと味もふた味も深い身の処し方と言えそうです。
心あてに 折らばや 折らむ
初霜の 置きまどはせる 白菊の花
凡河内躬恒
古今和歌集の歌ですが、百人一首でお馴染みの事と思います。作者は「おおしこうちのみつね」と若い頃に習ったのですが、変わった名前ですね。昨日までの低温がちょっと緩んで、今朝はプラスの気温。それにはふさわしくないお話です。近所の白菊に降りた霜が、朝日に輝く写真を撮ろうとこの数年思っていましたが、陽が当たるとじきに霜は融ける。その直前を狙って、寒い中じっとカメラを抱えて待っている根気がありません。隣近所からも怪しまれそうです。展示会の最中に、そんなことを考えること自体が無理というもの。
菊の写真も岩に降りた霜の写真も、別の日に撮ったものです。作為的な構成で写真を撮ろうなんて、あまり良い行いではない気もします。偶然に遭遇する自分自身の感動とは別に、他人を感動させてやろうという見え透いた魂胆。しかし、平安朝の歌の多くは、情景描写と見せて、宮廷での歌会で想像をめぐらせながら詠んだものらしい。この歌も、いかにも作り事めいたものに感じられます。白菊を女性ととるような深読みは、ますます白々しい。さらっと、情景を思い浮かべるにとどめるのが良いのでしょう。
展示会ではこれまで、鍋料料理向きの浅い両手鍋が人気でしたが、一昨日あたりから銅蓋タイプの両手鍋が中国の方々に買われています。野菜たっぷりの炊き込み御飯を作ると言っていたお客様もいました。寒さに向かって、それぞれが食に求めるものの違いもわかる、楽しい会話がある会場です。
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明け方の強い雨が上がって、秋の陽射しに紅葉が輝いていますが、何となく雨に洗われて黄色が目立つ感じ。赤くならないうちに散ったカエデが、地面を金色のカーペットで被っています。右の写真、朽ちかけた丸太を這うのはツタウルシ。山を彩る「カエデやツタ」と言われるツタは、このツタウルシでしょう。まだ若いうちは地際を這い、葉も小さく、浅い鋸歯があります。近くの手頃な大木を這い上がるようになると、茎には毛が生えて大木の幹に食らいつき、葉もこぶし大で丸くなります。ツタウルシに何度もかぶれた事のある私には、その赤い紅葉は、毒々しく感じられますが、公平に見るなら確かに美しい。今年は深い赤に変わらないかもしれません。
左の写真はダンコウバイ。いにしえの人々が、中国の植物名「檀香梅」を借りて名付けたのでしょうが、その名を他の植物にも借用したため、混乱しています。ウコンバナという名もありますがその名で呼んでいる人に会ったことはありません。シロジシャという名がよさそうです。アカジシャに対抗してシロジシャとよばれますが、アカジシャの本当の名はシロモジ。シロモジとは、楊枝の材料にするクロモジに対抗してつけられた名前。白・赤・黒が交錯します。春先、まだ葉が開かないうちに、小さな黄色い花の集まりが枝にモヤモヤッと咲いて、同じような花が咲くアブラチャンと、遠目では見分けがつきません。アブラチャンもダンコウバイも地元ではジシャと呼んでいるようです。これらの木はいずれもクスノキ科で、香油のような香りがあります。
さて、今日は日曜日、これから銀座 ギャラリー江の展示会場に出かけます。
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写真は11月最初の朝日を浴びた浅間山。台風の前後、かなり下まで新雪に被われていましたが、軽井沢から見る南面は日当りが良いとすぐに融けて、あるいは蒸発(昇華)してしまいます。町内を東に移動すると山の北側が少し見えますが、北斜面は白いままでした。風もなく、煙が静かに昇っています。
10月最後の朝は氷点下2度近く、昨日も氷点下の朝です。今朝はプラス1度。暖かい東京に一週間通っていましたが、朝は気合いが入っていて氷点下も何のそのですが、疲れて軽井沢駅に帰り着き、駐車場までのほんの数分間は寒さが身にしみました。まだ体が冬仕様になっていません。
伊勢丹展、例年通りの成績でほっとしています。消費意欲の落ち込みやら、中国は大型連休の後だったためか、台風の影響か、人通りは例年より少なめ。しかし、日曜日は台風の雨の中、思わぬ好成績でした。会期中おいでいただいた皆様、ありがとうございました。台風で、観光地への遠出をひかえて、安全なデパートでお買い物に変更された海外の観光客もいらしたようです。天気が回復して、軽井沢はたくさんの観光客が自転車で行き来しています。浅間山は2,500mを越える山の町ですが、町内の中心部は平坦で、距離も自転車で回るにはちょうど良いサイズ。駐車場の心配もなく、家族連れや団体でにぎやかに走っています。
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夏らしい日がとても少ない中で、迷走台風5号が去った後の豪快な夕空。軽井沢の量販店の中では浅間山の遠景が楽しめるスポットですが、サボらずにもう少し左へ移動して撮れば、消防署のやぐらが邪魔にならなかったでしょう。この量販店は軽井沢では最大規模のホームセンター。仕事の買いものに普段から利用しているのですが、夏はいつもと違う人付き合いから買いもののバラエティーが広がり、毎日通っている。何でも揃っているが、この日の一番の掘り出し物は夕空。
毎年訪れる浅間連山の標高2000mを越える草原。8月には確実にアサギマダラを見入る事が出来る場所です。あまり人を恐れないので、特別な望遠レンズがなくても、けっこう写真になります。ヒヨドリバナの群落に群がっている事が多いのですが、ここではマルバダケブキの蜜を吸っています。
この数年、昆虫が少ないと感じていたのですが、この高原では赤トンボの群れが山頂を飛び交い、ベニヒカゲは腕にとまって汗の塩?を舐める。アサギマダラにいたっては、駐車場のトイレで観察できるほど。花に集まるハチやアブも多く、里での減少と較べると、山では増えているのかもしれません。
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8月7日の朝、4歳と7歳の男児を連れて京都郊外から軽井沢に向う。普段は車でしか移動していないので、汽車の旅を経験させようと、奈良線・東海道新幹線・中央線・篠ノ井線・しなの鉄道と各種取り揃えのコース選び。というのも北陸新幹線まわりより接続によっては早く、しかも安い。
台風本番の前日でしたが、京都は雨・・・が運良く出発時だけ雨が上がり、大荷物を背中に背負って両手で子どもと手をつなぐにはラッキー。その後はゆっくり迫ってくる台風を、東に逃げてかわす。木曽谷を抜けて塩尻ではわずかに晴れ間が見える空に欲が出て、松本で途中下車し、松本城見学。待ち時間30分、天守閣への急な木の階段の上り下りに1時間あまり。遊んでいるうちに台風の雨に追いつかれて、運休になる前の最後の特急しなので篠ノ井へ。しなの鉄道は小諸止りだったので、小諸駅でしばらく待って軽井沢行きに乗り換える・・・・ということで、合計6本の列車を乗り継ぐ大旅行。まだ手のかかる年齢でしたが、今後は汽車の旅も少しずつ楽になるでしょう・・・・その分料金はかさみます。
迷走台風の行く末が決着して、秋風の気配。今頃やってくる夏台風とはだいぶ性格が違う。これから暑くなるのか、風にコスモスが揺れています。帰省客、観光客、別荘族が入り乱れるこの時期、トウモロコシが飛ぶように売れる。町内いたるところのトウモロコシ畑。それを狙って、クマ、タヌキ、キツネ、イノシシ、サル・・・動物界も入り乱れて争奪戦を展開する。電気柵やらネットやらで農家は自衛するが、買って食べるわけにはいかない動物達も必死です。
ヒマワリも種が実るころには狙われて、こちらは鳥も参加するが、種を販売する目的で栽培している人以外は、野生動物を呼び寄せている事には無頓着なことが多いようです。
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(写真は茅野市発行「縄文ガイドブック」より)
先週土曜日、10分で終る実につまらない用事で松本へ。長野県では長野市か松本市に行かなければ用が足らないことがある。どちらも軽井沢から70km。高速道路が出来る前は、南信の山奥の村から県庁に行って会議に出る公務員が日帰りできないという状態があった。暑い松本の用事は朝一番にすませて、諏訪地方の2ヶ所に寄り道。道草の方がメインです。
一つは尖石遺跡。といっても暑い中で遺跡めぐりはきつい。なにしろ八ヶ岳山麓には無数と言って良いほどの遺跡があります。今回はその中の目玉、茅野市尖石縄文考古館へ。目指すは土偶「縄文のビーナス」です。土偶の多くは複雑な装飾が施されている中で、このビーナスさんは頭部以外スッポンポン。ツルツルのお肌と、絶え間なく豊かに変化する曲線。これぞ「銅鍋の女神様」? 神棚も仏壇もない暮らしですが、作業場に飾っておきたいほど。拝む趣味はなく、むしろ再現したい対抗心というか、たえずムムムッという心情ですね。
言葉が記号化される以前、芸術、工芸、芸能・・・心情があらゆる表現の中に混然と渦巻いていた時代。古事記と律令制が成立する頃、使われ始めた文字により、心情が物語や教典に写し取られ、社会の仕組みが法令に記号化される過程で、古層の死生観や自然観が辺境に追われて残ったものの一つとして「みしゃぐじ」信仰が語られています。諏訪神社の御柱祭は弥生〜ヤマト以前の精神性を残しているかもしれないと言われる中でも、さらに広く東日本に残るみしゃぐじ。工芸や芸能の神ともいわれ、また境、境界の神とも考えられ、道祖神の源流かもしれないとされながら、なお実像が明瞭に焦点を結んでいません。
写真は諏訪神社の神長官、守矢家に伝わる「ミシャクジ社」
松本までは窓全開で走り、松本から諏訪まで高速にのって窓を閉めてエアコンに切り替えたが、クーラーが効きません。しばらく前からフロントガラスのくもりがとれないと気づいていましたが、軽井沢ではクーラーを使わないのでガス不足には気づかず。帰りは霧ヶ峰越えで、なるべく下界を走る距離の短い女神湖経由で立科町へ。通称、ビーナスライン。美の女神を巡る旅でした。
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小さな空色の花はタチイヌノフグリ。小さい上に、オオイヌノフグリと違って横を向いて咲いているので目立たない。しかも無理な姿勢で近寄って撮った写真はピンぼけと来れば、雰囲気だけが伝わればと言う程度です。山の中でなら地面に這いつくばって撮るところですが、仕事場の横の公民館駐車場ではそうもいきません。倒れているのではないかと誰かが飛び出してきそう。カメラを買う時に、液晶画面が動くタイプ(カメラを地際に置いて液晶画面だけを上に向けられる)にしようか、頑丈な防滴タイプに使用か迷ったあげくに後者を選びましたが、案外前者の方が便利なケースが多い。しかしまあ、万能な道具は虻蜂取らずでしょう。
この花もヨーロッパからアフリカ原産だそうで、春の高原も外来種だらけ。クワガタソウの仲間ということですが、在来のクワガタソウはなかなかお目にかかれません。
23日の記事に載せた前日の浅間山ですが、その後ツイッターにいくつかの報告が見られました。群馬大学の早川さんの話では、火口で温められた空気が上昇して出来た「雲」とのこと。ポイントは火口から上がったところで雲になるため、山体から少し離れている。ということは、局地的で弱い入道雲のようなもの。現在も夜になると、高感度カメラには火映が写るというので、火口内は温度が高いのでしょう。ツイッターという媒体は、大勢の人が情報を交換したり議論するのには便利です。せっかくの媒体を、罵倒やデマに使うのはもったいないですね。
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昨日は久しぶりに、一日のお休み。出勤するわけではないため、何か用事があっても合間の時間にいじましく仕事が出来るので、丸一日の休みは正月以来かもしれません。地元の歴史同好会「軽井沢史友会」の企画で、中山道を碓氷峠、熊野神社から関東側へ下りました。
年輩者も含まれるので、昔の旅人の苦労を偲びつつ、下り道で楽をさせてもらいましたが、それでも距離は8kmあまり。脚に優しい土の道ですが、往来が多く整備されていた江戸時代に較べれば、道は雨でえぐられて、歩きやすいとは言えません。大名行列や馬が通るにはやはり難所。あるいは江戸警備のため、往事もわざと通りにくくしてあったかもしれません。
碓氷峠出発直前にはかなりの雨になりましたが、最近は気象庁のサイトで雨雲のレーダー画像が動画で見られますので、じきに止むことを確信して出発。利根川水系と信濃川水系の分水嶺で、万葉の頃から「薄日、うす陽の坂」などと呼ばれた、雨霧の名所にふさわしい歩き始めでした。途中、馬頭観音が多く、街道の難所として馬も苦労したことでしょう。だいじに供養された様子がうかがえます。
新幹線の通過とともに横川駅・軽井沢間は鉄道がなくなり、歩いて下った後の帰りに困るのであらかじめ下に数台の車を配置しました。明治の10年代に出来た旧国道18号を碓氷湖まで車で下りましたが、旧国道の県境で見つけたスミレ。オオタチツボスミレ?? 名も知らぬスミレとしておきましょうか。スミレは仲間が多く、あまり見かけないものは図鑑と虫眼鏡がないと、名前をはっきり決めることが出来ませんが、きっと全国に大勢いる菫愛好家ならたちどころに見分けることでしょう。
県境の道はシカが増えて、それとともにヒルの被害が多くなっています。血を吸われるだけで、特に大きな害はないのですが、この日も参加者数名がやられました。前日に一応YouTubeで対処法を見て準備しておいたので、まずは手際よく処置できました。せっかく参加していただいた方々に、「高野聖」の恐怖をあじわせることは避けられたでしょう。無事、春のイベントは終りましたが、途中地面が濡れていて碓氷湖まで昼食はお預け。空きっ腹の旅人でした。
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